· 

#2 Introduction to Hanoi's Ancient Quarter

ベトナムの首都ハノイには、3つの歴史地区がある。

 

約900年間中国の支配下にあったベトナムが、別の国として1010年にハノイに遷都しされた際、ベトナム王朝の宮廷が置かれたシタデル。宮廷の住民・軍人などの人々の需要を満たすために、周辺の集落から集まった手工芸職人らが集落ごとにギルドを作り住み着いた、旧市街。そして旧市街の南にあるホアンキエム湖の南に、19世紀にフランスがやって来て建設したフランス地区。これら3つの中でも、ここで紹介する旧市街は商業の中心地区としてひときわ異彩を放っている。

 

ハノイが位置する紅河デルタ地帯には、村全体で特定の産業に特化した集落(専業村)が散らばっている。旧市街の元々の住民は、こうした集落からの移住者たちである。村から草分けが上京し、後追いで村人が集まる形で手工芸職人のギルドが作られた。例えばHang Dao通りには桃色の染料を使ったシルク染色を得意とする人々が住み、Hang Chieu通りにはござ職人、Hang Bac通りには貨幣鋳造や金銀細工・宝石商が集まった。通りにはギルドが扱っていた商品名や職業名が今も残っている。地区内は製造販売が主だったが、1954年から約30年間続いた計画経済の際にほとんどの伝統技術が廃れ、今ではほとんどが卸売・小売になっているが、活発な商業地区であることには変わりない。

こうした旧市街の商業は、地区内をぎっしりと埋める「チューブハウス」と呼ばれる町家で営まれている。

間口3mほど、奥行きが60mから時に100mにもなる細長い町家が連続・密集して作り出される商業景観は圧倒的だ。

しかも通りの多くには、同業者が集まって物を売っている。この同業者の通りも、旧市街の無形文化遺産になっている。

 

旧市街は「36通り地区」の名前でも知られるが、この訳語はミスリーディングだ。というのもこの地区内の通りは36の倍以上、法規制文書に明示されているだけでも79本ある。

この語の元となったベトナム語を正確に訳すと「36の舗坊(36 phố phường)」。舗は通り、坊は区の下にある行政区分のこと。36という数字の意味は諸説あるが、一つには封建時代に置かれた行政区分(東西で18坊ずつ)、また一つには数の大きさを表す象徴的な数字、というものもある。

 

何にしろ、4車線以上の大きな通りから狭い路地まで、大小様々な通りが地区内を有機的に走っている。

封建時代から続き、さらにフランス植民地期の部分的な改造が重ねられたこの道路のネットワークは、歩き回ると角ごとに様々な同業者町の景観が立ち現れ、方向感覚をあやふやにし、この街の迷宮感を高めている。